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​小さなミラクル通信

守秘義務尊重のため内容は著者の経験に基づいた創作です

思いやりの行き過ぎ

執筆者の写真: 王丸典子王丸典子

日本文化では相手を思いやることが美徳です。


しかしどの程度まで思いやったら良いのか、これを判断するのは難しいところです。


私自身若いころは様々な状況で相手のために何をしたら良いのか、考えることがしばしばありました。


また職場や趣味の集まりのような時にも、年長の人たちから「これをしたほうが相手のため」とか「こうすると気が利いているから」など教えられたのを覚えています。


LA語学学校の「思いやり」ディスカッション

その後アメリカに渡りロサンゼルスの語学学校で、英語やアメリカ文化などを学んでいた時のことです。


あるクラスで日本文化について話をする機会があり、私は相手を思いやるという習慣や、相手の望んでいると思われることを気をきかせて行うことなどを話しました。


するとアメリカ人の先生をはじめ、各国出身のクラスメートたちから様々な意見が出て、大ディスカッションになりました。


驚いたのはそこにいたほとんどの人たちが、「相手を思いやるために先回りして相手の望んでいると思われることを行う」というのに、強い抵抗感を示したのです。


「もし相手は違うことを望んでいたらどうするの」、

「考えてもわからなかったら、相手に聞くのか」、

「日本ではそんな面倒くさいことをしないと社会でやっていけないのか」、

「日本社会で生きるためには good guesser(推測者)になるべきなんだ」、

「疲れそうな社会だね」。


こんな意見が次々に出て、当時日本の「思いやり文化」に対し、誇りを持っていた私は衝撃を受けました。


思いやりの行き過ぎは尊厳軽視?

中でも白人女性教師の質問には、これまでの私の価値観がひっくり返るようなインパクトがありました。


その先生の静かな声音は決して批判的ではなく、素朴な疑問という印象で、

「相手の先回りをして何かをやってしまうのは、相手の能力や状態を軽んじていることにならないかしら」というものでした。


相手の尊厳を守るために「相手は能力のある人間である」と信じることも大切なのではないかという先生の意見に、若かった私は返す言葉を見つけられないでいました。


クラスが終わった後にディスカッションを思い返しながら、日本に住んでいた時に感じていた窮屈さは、ここからきていたのかもしれないと思ったのでした。

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